ひとごとじゃない / NZでの大地震

テントの中でラジオを聴いていて、耳を疑った。
早口な英語で時々わからないが、間違いない、
NZで地震があり、死者も出ているようだ。

ネットをつないで調べてみると、日本人留学生も多数巻き込まれ、
語学学校のビルの下敷きになっているという。
(少しでも多くの方が無事に救出されるのを祈るばかりです)

自分も数年前、被災地となったクライストチャーチ市内の語学学校に通っていた。
そして、自分の夢を追って海外に出ているという点で、
被災した留学生らと今の自分の立場は同じだ。

まったく他人事に思えなかった。
夕闇が迫る中、体を締め付けられるような暗い気持ちでラジオを見つめた。

*****

そのニュースを耳にしたその日、偶然にも一つの問いをずっと考えていた。
それは、「あと10日で死ぬと知ったら、今の自分は何をするだろう?」という問いだった。

ある写真家が白血病でごく最近この世を去り、
去り際に彼のブログに残された言葉が頭から離れなかった。

今日は、生意気ですが いつもエールを頂く 皆さんに俺から、エールを送ろうと思います
一日一度 いや、二日に一度 もっと、十日に一度で良いから、生きようと思って生きて下さい
きっと感じが変わると思います
のんべんだらりと これまで 生きてきた 俺が思うことです
もう一度
生きようと思って生きて下さい
生意気ですが これをみなさんにエールとして 送ります

「生きようと思って生きてください。」
この言葉は不思議だ。なぜか心の奥底にとどまって離れてくれない。

『晴天の霹靂』というブログタイトルの通り、まったく予想外の発病だったという。
つまり彼のような状況が、もしもたった今自分に起きたとしたらどうするだろう?
・・そう思いはじめて止まらなかったのだけど、
たぶん、本当にそうなったとしても、
(家族には申し訳ないけれど)自分は今の旅をそのまま続けるんじゃないかな、と思っている。
やうやく長年の夢だった「海外での自転車旅」をしているのだ。
だったら後悔のないように、1kmでも100mでも先に進んで、その日を迎えたいな、と、
そう思わずにはいられない。

そしてもっと生きられるのならば・・
そう考えると、自分にとっての最優先事項を、棚上げしている場合ではないなと気が付くのだった。

*****

オーストラリアで洪水やサイクロンが起きたときは、
旅人の間で「自分が以前滞在していた地域が・・」とか「自分の友人が住んでいて・・」という言葉が飛び交った。

そして今度はNZで、自分にとっても思い出あるクライストチャーチという場所で、
同じ立場の人間のいくつかの夢が、不幸にも途切れようとしている。

それらはまったく他人事とは思えない。

きっといくつもの「不幸でささいな偶然」がバランスタワーのように積み重なったとき、
それはいつか、自分の上にも倒れてくるものだという気もする。
「自分は今たまたま生きている」。そういってもいいのかもしれない。

*****

少しでも多くの人が、夢が、がれきの下から助かってほしいと、心の底から願います。
もとの穏やかな街に戻るのは、いつになるだろう。
募金くらいしかできないけれど、少しでも力になりたいなと思っています。

リンク:晴天の霹靂

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