タイ―回想録 “彼らの町”

(ずっと下書きのまま保存されていた記事です・・半年ぶりにやっと公開)
回想録
2011年8月5日
バンコクに到着して4日目、安宿を離れビジネスホテルへ――

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バンコク繁華街から少し離れたゲストハウスに3泊後、
繁華街中心のビジネスホテル(?)wall street innにチェックイン。
友人の結婚式の前後くらいは身を整えたい、と思って普段の3倍もするホテルを取った。さすがにシャワーは熱いしテレビもエアコンもある。
髪を切り、ひげを剃った。あとはヨレたワイシャツにアイロンをあてれば式の準備はOKだ。

実はこのホテルはウワサの夜の街”ハッポン”と呼ばれるゴーゴーバー密集地のど真ん中にあって
「夜の街のビジネスホテルなんて、ちょっと面白そう」
面白いアクシデントを期待してネット予約したけれど、これは2日目で大いに後悔した。
「マッサージ?」「ヤングレディー?」「オンナノコ?」
宿に戻ろうとするたびに昼夜問わず怪しい男たちに声を掛けられるのはメンドウ極まりない。でも屋台が所狭しと並ぶのは面白く、用もなく屋台街を歩く日々が始まった。

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(話は変わり・・)
そういえば・・どこの街で見たんだっけな?
以前通過した町で、若くて生きのいい、自分と同じ年頃のニイチャンが青空市場でいい顔して働いているのをみた。
そしてここバンコク繁華街でも、小さな小さな女の子が不釣り合いに大きな屋台を引っ張っているのをみた。

こういう光景に出会うたび、俺の旅はなんなのだろうなぁ、とふと思ったりする。みな、俺が自転車ですれ違う地元の人々はみな、当たり前だがそれぞれ仕事を持って生きている。時として、その姿にハッとさせられるのだ。
その姿は背景の”彼らの町”とそれはもう見事にマッチして、
一枚の写真に切りとりたいと思うほどの美しさがある。

たとえこの旅が誰に影響を与えるでもなく、何を生み出すわけでないとしても、その先の何かにつながってゆくと信じたい。いや、信じなければ旅を続けることはできないのだ。

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南オーストラリアでWWOOF中

どうも中途半端な時期にアデレードに来てしまった。

アデレードのある南オーストラリア州はワインで有名だ。
夏(1-2月前後)ならファーム仕事があるかと思いきや、グレープは3月~4月がメインシーズンで、さらに近年は機械化が進んで人の手で摘むファームは少なくなっているとのこと。
ワーキングホステルと呼ばれる、ファーム仕事を紹介してくれるバッパー(安宿)に電話をしてみても、どこも「仕事待ちの人で溢れているよ」とつれない返事が返ってくる。

そうしてアデレードから250km東へ走ってberriという町まで仕事を探しきたものの、結局見つからず万事休す。

「ないもんはしょうがない。まずは一呼吸おこう」

予定は再び変わり、以前からやろうと思っていた”WWOOF”をここ南オーストラリア州ですることにした。

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WWOOFというのは、一言でいえばファームステイと言っていい。
お金は出ないけど4-5時間働くと宿と食事がもらえる。

さっそくネットで登録してファームのリストをメールで送ってもらい、
面白そうな紹介文のあるファームに電話を入れた。
すると運よく2件目で
「やることはいっーぱいあるから(笑)、明日からでも来ていいよ!!」
と渡りに船の返事をもらうことができた。

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そうして実はもう1週間ほどそのファームにお邪魔しているのだけど、
ここのオーナーは実に面白い人物だ。

園芸植物の生産を主軸に、
怪我した動物を保護するアニマルレスキュー、
捨て犬の保護(今は8頭)、
数種類の鳥たちをはじめ絶滅危惧種のカエル、
その餌となる数千ものコオロギの飼育、
500エーカー(1エーカー=約1224坪)という広大な敷地に果樹園から庭園から貯水ダム(!!)まで自分で作っている。
その上趣味でクライミングやボートもやるというのだ。

まったく多趣味な男というのはそれだけで価値がある。

広く浅くの知識でない。広く深く・・つまりこの男は全部ホンキでやっているのが伝わってきて、それがとても面白いのだ。

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なんだかんだで、AUSにきて1年以上たって初めて純粋なオージーの家庭に一週間以上お邪魔している。
今となっては、「もっと早くWWOOFをやってもよかったな」とも思う。
やはりこの国を知るには、この国の人と生活をするのが一番だ。

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アデレード、到達!!

2012.02.03
メルボルンからグレート・オーシャン・ロードを経由して
サウスオーストラリア州の州都アデレードへ到達。

日数:18日
走行距離:1,250km
平均距離/日:69km/day

アデレード到達!!
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やっとやっと、アデレードに入った。
中心部を突き抜ける大通りを、大勢の視線をかんじながら走り抜ける。
どこで記念写真を撮ろうかな・・・そう思いながら国旗が掲げられ噴水の水しぶきが気持ちいい公園に自転車を停め、街を背景にカメラをセットした。

アデレード中心部は完璧な計画都市の空間だ。
四角形をした中心部は広々とした緑地公園に囲まれ
その中は碁盤目のようなきれいな網目模様が描かれている。

最初に訪ねたバックパッカーズ・ホステル(BP)が満室と言われ、
そんな網目の上でうろうろしていた。
すると道の反対側から声がして立ち止まった。
「おいきみ、ここに泊まりな!」
なんだかわからないが、おっちゃんがここに来いと手をふっている。
なんだなんだ、寄っていくと、そこは別のBPでおっちゃんはそのオーナーらしい。宿の壁をよく見ると日本語の張り紙がしてあって、どうやら日本人宿のようだった。日本人らしきサイクリストを見かけて声を掛けたのだろう。

「今日は満室だから、カウチ(ソファー)でいいか?10ドルでいいぞ。」
受付に座ったおっちゃんは事もなげにそういった。
人を呼び止めておいてベッドはないのかよ!!
・・と突っ込もうと思ったが10ドルはとにかく安い。
そうしてアデレードの日本人宿「シンゴ―ズ・バックパッカーズ」にその後1週間ほど滞在することになったのだった。

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オーストラリアは1-3月が真夏。
アデレードから西に、つまりパースに向かうには、
1200キロにわたって町がない「ナラボー平原」という砂漠地帯を越えなければいけない。気温も45度に達し、タイヤも溶けると聞いている。

つまり、夏が終わるまでアデレード地域で待機することになりそうだ。

ビザが切れる12月までに、なんとかシドニーまで行けるだろうか・・・
最近はそのことが気がかり。
旅は思うようには進まない・・まぁ、それが面白いのだけれど。

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SA、サウスオーストラリア州へ

サウスオーストラリア州入り

26th.Jan.2012
いよいよメルボルンのあるヴィクトリア州から、
アデレードを州都とするサウスオーストラリア州へ。

季節は真夏、気温は毎日33°前後。
南からの風が多く追い風にのって、アップダウンも少ない快適なサイクリングだ。

州が変わると、沿道の景色も少しずつ変わってきた。
木々は少なくなり、地表を覆う植物も見るからに乾燥に強そうなものばかり。
360度に渡ってくすんだ牧草地と空と太陽しかない・・、
そんな景色に何度も入り込み途方に暮れることもしばしばだ。

そして驚くことに州間で時差が30分あって、
俺はSA州に入ってから1週間経ってようやくそのことを知るのだった。笑

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AUS始まりの歴史に触れる―ある人物との出会い―

西オーストラリアを舞台にした小説『モンキー岬』を読んだことがある。
日本人の青年2人が農場に住み込み、様々な労働や事件を通して成長していくーー
確かそんな物語なのだけど、印象的な1シーンに
農場主の老婦人から「私の先祖は囚人としてAUSに渡ってきたの」と打ち明けられて主人公らが戸惑う、
というのがあって、なぜか今でもその部分だけはよく覚えている。

自転車で南オーストラリア州に入らんとしていたある日、ふとしたことから地元の人の家に招かれ、まさに小説と同じような状況でこの国の始まりの歴史を垣間見るという体験をしたので紹介したい。
それはとても興味深いものだった。

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俺の自転車を追いこした大型バイクが路肩に停まった。
こちらも自転車を降りて挨拶を交わす。それがJoak(ジョク)との出会いだった。
ジョクはこの国の典型的な肥満体質の初老の男で、地元に住んでいるというのでこの先の道路情報を聞くと、話の流れで彼の家にティーをごちそうになることになった。

この国に来てどのくらいか、自転車でどこまでいくのか・・席についてそんな感じのお決まりの会話を交わす。
ジョクの話を聞いていると、数代前の先祖はwhaler(クジラ漁師)をしていたという。
ふと思い立って「その先祖はどこの出身なんですか」と尋ねてみる。
返答はやはり「イングランド」だった。
そこから、ジョクの祖先がどのようにこの地に流れ着いたか――
オーストラリアという”国の始まり”の歴史にさえ触れる、長い話が始まった。

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オーストラリアが元々”イギリスの囚人の流刑地”だったように、
ジョクの何代も前の先祖も囚人としてこのオーストラリアに流された。
帆船の最下層の船底に詰め込まれての長旅で、たどり着いたのはタスマニア島。史実では、より罪の重いものがAUS本島をとおりこしてタスマニア島に収容されたとされているから、きっと重い犯罪を犯してしまったのだろう。(さすがに聞けなかった。)
そして囚人の多くがそうしたように、ジョクの祖先も脱獄を試みる。
しかし当時のタスマニアはまったくの未開の地、逃げ込む場所などなく、2回の脱獄は失敗した。
監獄へ戻ると、待っていたのは人力での石臼引きなどの罰だったそうだ。

7年後にようやく釈放された”彼”は、手漕ぎボートを使って現在ジョクが住む街・ポートランドにやってくる。
(ポートランドは大陸の南東部、メルボルンに近い海岸ぞいに位置する)
メルボルンよりも先に入植がはじまったというポートランドはwhaling(クジラ漁)の基地として栄え、アメリカなどからも南洋を目指す捕鯨船が寄港していた。つまり”彼”も、whalerとして働くべくこの地にやってきたのだった。
時は遡ること160年、1850年ごろのことだ。

ポートランドは現在でさえクジラが多数回遊し、クジラ見学ツアーが盛んにおこなわれる。
19世紀にはさらに多くのクジラがいたことだろう。
クジラ漁は沿岸海域で盛んに行われ、大きな鉄槍で射止める方法をとっていた。槍手をハープナーと呼んでいたそうだ。仕留めると船で引っ張り浜にあげて、その場で解体をしていたという。

クジラ漁自体が19世紀末には衰退したから(クジラが減ったため)、ジョク自身はもちろん捕鯨の経験はない。この町ポートランドでエンジニアとして長年働き、今はリタイア(退職)して自由気ままな生活を送っている。

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時間にすればほんの1-2時間。しかしジョクとの出会いは本当に面白かった。
本で読むだけだったオーストラリアの入植時代、つまりこの国の始まりの歴史を、先祖から伝えられたという”生きた物語”として聞くことができたのだ。

自分の場合はどうだろう?と思う。
数世代前の先祖が何をしていたかなど、今の自分は何も知らない。
先祖を知り、その繋がりを意識しているというジョクの話は本当にうらやましく、そして”繋がりを知る”というのは、ある種の”生きていく力”にさえなるように思えるのだった。

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