新年あけましておめでとうございます。
こちらは暑い夏だからか、旅中だからか、あまり改まった気持ちが起こらず、なんだかちょっと、損した気分がする。
でも、腕時計はしっかり「1月1日」と表示している。
この真新しい日付を見ていると、
今年は、そして1年・・5年・・10年後はどう生きていくのか。
そのことを考えずにはいられない。
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さて、2011年が始まった瞬間は、山岳地帯の広大な草原に張ったテントで迎えた。オーストラリア東側、キャンベラの南方に位置する「コジウスコ国立公園」という所で2泊3日のトレッキングをしたのだ。
オーストラリアというと、エアーズロックなど、暑く乾燥した褐色の大地が連想される。
でも、コジウスコ国立公園では驚くことに夏でさえまれに「雪」が降る。
冬になれば、なんとこの大陸で唯一スキーが楽しめる場所なのだ。
それもそのはず、名前にもなっている最高峰のコジウスコ(2228M)をはじめ
1位2位3位・・とこの国の高峰を独占する、オーストラリアきっての山岳地帯なのだ。
実際に行ってみると、夏のオーストラリアなのに終始肌寒く、トレッキングコース沿いにも雪が残っていたのだった。
そんなコジウスコ山では、頂上やその周囲の氷河湖を約40㎞に渡ってめぐり歩くトレッキングが人気だ。
ちるじろうも今回、年末年始と3日間かけてそのコースを歩いた。
国の最高峰といえども、コジウスコ山までの道のりは平坦そのものだ。
というのも、有名になりすぎて観光客がとにかく多く、
スキー用のリフトが夏でも稼働して、アクセスも簡単なのだ。
コースは金網や石畳ですべて保護されていて、
植物に覆われた広い大地を歩く、気軽なハイキングといった雰囲気が漂っている。
それでも、7大陸最高峰登山をやるような登山家だってみなここを通るのだ。
自分がそんな登山家と同じ道を歩いていることがただうれしかった。
岩と草がただ広がる殺風景な景色も、整備されたコースでさえもいとおしさすら感じた。
自分はリフトは使わなかったから、ふもとの町から計4時間の道のりで、
頂点には胸の高さほどある石造りの立派なモニュメントがあった。
こみ上げる喜びをかみしめながら、その石に、ゆっくりと触れた。
シドニーから自転車で1千キロを経て標高1350mのふもとの町へ
そしてそこからは徒歩で2228Mの頂へ。
すべて人力による、文句なしの最高峰登頂だ。
(2010年12月31日 Mt.Kosciuszko 2,228M登頂、第2位のMt.Townsendも翌日登頂)
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ほんとうのハイライトは登頂後にまっていた。
頂点までのサミット・コースから一歩奥へ踏み込むと、「Main Range Track」とコース名が変わり、
それまでのハイキングから一転、玄人向けの山歩きの様相になる。
標識の類は一切なく、岩と草原が荒々しく広がる山岳地帯に、
踏み慣らしただけの登山道が先の先まで延々と伸びていく。
そのメインレンジからさらに外れて地図にも載っていないコースを歩くと、
そこはけもの道しかない野生の世界になった。
その先にテント場があるはずだった。
しばらく歩くと、はるか眼下、山々に囲まれて盆地状になった空間の小川のほとりに
米粒のようにいくつかのテントが見えてきた。
もちろん「テント場」なんて標識もなければ、そこに至る道すらない。
人気のない、ただ草原と岩の空間が広がり続ける中を歩き降りていった。
踏みしめる大地がやわらかく、そして吹き付ける風は荒々しかった。
“wilderness”――
この言葉の本当の意味を、その時初めて理解したような気がする。
自分の張ったテントの小ささと、周りの大地の広がりがただただ信じられなかった。
人間の存在など意に介さない、圧倒的な広がりを持つ大自然の中での野営。
初めて圧倒的な大自然と、心と体で向かい合ったのだ。
そのインパクトはとてつもなく大きなものだったと思う。
自然の本当の姿を、今、垣間見たのではないのか。
この国の自然をもっと知りたい。もっと体験したい。
この想いが日に日に強くなっていくのを、今や抑えることができないでいる。