成田から仙台へ / ボランティアでの想いごと

帰国翌日――

せまいせまい成田街道を、空港から東京・都心部に向けて自転車を漕いでいた。
2年前、オーストラリアに発つべく成田空港へ向かっていたのと同じ道。
あの時休憩した公園、買い物をしたスーパー。
不思議とそんな場所をよく覚えていることに驚いた。

ユーカリ茂るエバー・グリーン(常緑樹)の国から落葉樹の国に来たという事実が、なぜかとても印象的だった。紅葉も終わりかけた雑木林に、忘れ去られたように色ずくカラスウリの実。田園の真ん中にたたずむ、たわわに実ったカキの木。
苔むした道端の道祖神がふいに現れ、視界の奥へと遠ざかる。
まっすぐ流れる小川。道案内をするかのように小さく何度も舞うセキレイ・・。

「あぁ、日本にいるんだなぁ・・。」と心の底から思った。

うれしいわけでもない、悲しいわけでもない。
東京へ向かう成田街道で抱いたあの感情は、いったいどう表現すればいいのだろう。
生きて帰れた少しの安堵感と、落葉した木々が安堵感に混ざり合って生まれた、終わりゆくものへの愛おしさ・・・。
日本にいるんだなぁ・・、何度もそう心の中でつぶやきながら、ペダルをこぐのだった。

東京のバックパッカーズに数泊し、連日友人たちに会って再会を喜んだ。
その後3泊4日で宮城県仙台市まで走り抜け、
名古屋行きのフェリーに乗った時点で本当の意味で旅が一区切りを迎えた。

*****

仙台に行ったのはほかでもない、震災復興のお手伝いを少しでも出来たらと思ったからだ。
震災の時、自分はタスマニアの一番南の町にいた。あの時からずっと思っていたことだった。
「帰国したら真っ先にボランティアにいこう」と。
津波で流された写真の洗浄作業をしている団体と、除塩など農業支援をしている団体に一日ずつお邪魔し、また一日は自転車で沿岸部を走った。話を聞いた誰もが口をそろえたのは、ここ一年復興が停滞しているもどかしさ、だった。まだまだ人手はいるのだ、支援はまだまだこれからいるのだ、と。また被災した沿岸部を案内してくれた男性は、枯れた防風林の下に車を停め、遠く残照に浮かぶ仙台市の夜景を指さしてこう言った。
「以前はこっから仙台の夜景なんて(住宅に遮られて)見れなかったんだよ」。

一面の枯れた”草原”を前景にして浮かびあがる仙台中心部の夜景。
草原の下には家の基部が残されたままだ。
それらを見ながらこの言葉を聞く・・
それは、どんな映像よりも新聞記事よりも、心の奥底に響くのだった。

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