Leaving AUSTRALIA

高層ビルが立ち並ぶパースの目の前の海に、黒鳥の一家が住んでいた。

自転車での大陸横断を終えてパースに到着した6月。
初めて目にした4羽の子どもたちはヒヨコほどの大きさしかなく、一生懸命に親の後をおっていた。
それから5か月間、仕事に行く度に彼らのそばを通るようになると、
僕はいつのまにかまるで親のような感情をもち、彼らの成長を見守った。

ふわふわの灰色の毛をまとったヒヨコたちは少しずつ黒い羽根へと衣をかえ、首もすらりと伸びていった。無事に立派な”黒鳥”へと成長した4羽はいま、夏のパースの水辺を優雅に彩っている。

成長を終えて穏やかに水辺に浮かぶ彼らを眺めていると
安堵なのか何なのか、
「自分も、”次”へ進むときかな」
そんな気持ちが自然とこみあげてくる。
そろそろ、自分も新しい道に歩みを進める時期なのだ。

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AUSでの2年をここで振り返ってもみたいけど、ここでは「自転車との付き合い」に絞って2年間の自身の変化を書いてみたい。

幾度もこのHPで書いたけれど、AUSを自転車で走ってみて一番の驚きは、ハイウェイですれ違う世界各国からの自転車野郎たちの年齢の高さだった。

自分の父親とそう変わらない年齢の人たちが、若者のような情熱と行動力を持って自転車旅をしている。たった一人、あるいは夫婦で、テント一式を積んでAUSの荒野を走っている・・。
「自転車旅は所帯をもって落ち着く前の、体力のある若者にしかできないこと」・・以前はそう思い込んでいたけれど、”世界基準”はどうやらそうではないらしい。本人が情熱を持ち続け、しかるべき体力さえ維持していれば、自転車旅というのはいつでもどこでもできることなのだ。
(ナラボー平原で70代のサイクリストに会った時の、その衝撃と言ったら!)

この事実は自分の人生設計を大きく変えた、と思う。
「20代のうちに一気に自転車で周れるところを周ろう」
・・ここ5-6年持っていた考えは今ではこう変わった。
「人生のどのステージでも長距離サイクリング(やアドベンチャー)ができるような生き方をしていこう」

エスぺランスという町で死にかけたこともかなり大きい。
「やりたいことを今すぐやろう。今すぐにでも留学をして英語の習得をしよう。」
あのとき頭をよぎった想いは、上記の生き方の方針と見事に方向が一致・融合して、今では一つになった。

それは簡単に言えばこうだ。

「海外でこれからも生きていこう」

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留学して現地で仕事を取れれば永住の道も見えてくる。調べてみれば移民というのは金持ちや天才だけの夢物語ではないことも分かった。ならば、この道を次の夢としてやっていこう、と。

AUS大陸横断で中断した自転車旅は、これから人生をかけて少しずつ進めていく。まだアジアもアメリカも走ってない。まだまだ、まだまだ、やりたいことはいっぱいある。いつかまた死にかけたとき、「これまでの人生に不満はない」と、そう思えるように行動をとっていきたい。

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2 Responses to Leaving AUSTRALIA

  1. けいすけ のコメント:

    勇気のでる文章!ありがとうございます。
    日本でさえ、北海道の美瑛とか絶景で感動しました。
    AUSとかマレー半島とか計り知れないだろうな、と思います。うらやましい!

    僕も協力隊からの帰国後はイギリスかどっかの院に行こうと
    考えてます。
    地球の色々を見てみたいです^^

    • chirujirou のコメント:

      >けいすけさん
      先日帰国し、東京から仙台まで自転車で走りきったところです。
      日本の景色も素晴らしいですね、NZから帰った時も思いましたが日本の景色はNZやAUSに負けない凛とした美しさがあって、また別ものです。
      僕も、世界をもっと見てみたいという思いは募るばかりです。

      協力隊での経験はどこに行っても役に立つでしょうね~!ぜひ、流れを切らずに突っ走っていってください^^!お互いがんばりましょ~

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