AUS始まりの歴史に触れる―ある人物との出会い―

西オーストラリアを舞台にした小説『モンキー岬』を読んだことがある。
日本人の青年2人が農場に住み込み、様々な労働や事件を通して成長していくーー
確かそんな物語なのだけど、印象的な1シーンに
農場主の老婦人から「私の先祖は囚人としてAUSに渡ってきたの」と打ち明けられて主人公らが戸惑う、
というのがあって、なぜか今でもその部分だけはよく覚えている。

自転車で南オーストラリア州に入らんとしていたある日、ふとしたことから地元の人の家に招かれ、まさに小説と同じような状況でこの国の始まりの歴史を垣間見るという体験をしたので紹介したい。
それはとても興味深いものだった。

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俺の自転車を追いこした大型バイクが路肩に停まった。
こちらも自転車を降りて挨拶を交わす。それがJoak(ジョク)との出会いだった。
ジョクはこの国の典型的な肥満体質の初老の男で、地元に住んでいるというのでこの先の道路情報を聞くと、話の流れで彼の家にティーをごちそうになることになった。

この国に来てどのくらいか、自転車でどこまでいくのか・・席についてそんな感じのお決まりの会話を交わす。
ジョクの話を聞いていると、数代前の先祖はwhaler(クジラ漁師)をしていたという。
ふと思い立って「その先祖はどこの出身なんですか」と尋ねてみる。
返答はやはり「イングランド」だった。
そこから、ジョクの祖先がどのようにこの地に流れ着いたか――
オーストラリアという”国の始まり”の歴史にさえ触れる、長い話が始まった。

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オーストラリアが元々”イギリスの囚人の流刑地”だったように、
ジョクの何代も前の先祖も囚人としてこのオーストラリアに流された。
帆船の最下層の船底に詰め込まれての長旅で、たどり着いたのはタスマニア島。史実では、より罪の重いものがAUS本島をとおりこしてタスマニア島に収容されたとされているから、きっと重い犯罪を犯してしまったのだろう。(さすがに聞けなかった。)
そして囚人の多くがそうしたように、ジョクの祖先も脱獄を試みる。
しかし当時のタスマニアはまったくの未開の地、逃げ込む場所などなく、2回の脱獄は失敗した。
監獄へ戻ると、待っていたのは人力での石臼引きなどの罰だったそうだ。

7年後にようやく釈放された”彼”は、手漕ぎボートを使って現在ジョクが住む街・ポートランドにやってくる。
(ポートランドは大陸の南東部、メルボルンに近い海岸ぞいに位置する)
メルボルンよりも先に入植がはじまったというポートランドはwhaling(クジラ漁)の基地として栄え、アメリカなどからも南洋を目指す捕鯨船が寄港していた。つまり”彼”も、whalerとして働くべくこの地にやってきたのだった。
時は遡ること160年、1850年ごろのことだ。

ポートランドは現在でさえクジラが多数回遊し、クジラ見学ツアーが盛んにおこなわれる。
19世紀にはさらに多くのクジラがいたことだろう。
クジラ漁は沿岸海域で盛んに行われ、大きな鉄槍で射止める方法をとっていた。槍手をハープナーと呼んでいたそうだ。仕留めると船で引っ張り浜にあげて、その場で解体をしていたという。

クジラ漁自体が19世紀末には衰退したから(クジラが減ったため)、ジョク自身はもちろん捕鯨の経験はない。この町ポートランドでエンジニアとして長年働き、今はリタイア(退職)して自由気ままな生活を送っている。

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時間にすればほんの1-2時間。しかしジョクとの出会いは本当に面白かった。
本で読むだけだったオーストラリアの入植時代、つまりこの国の始まりの歴史を、先祖から伝えられたという”生きた物語”として聞くことができたのだ。

自分の場合はどうだろう?と思う。
数世代前の先祖が何をしていたかなど、今の自分は何も知らない。
先祖を知り、その繋がりを意識しているというジョクの話は本当にうらやましく、そして”繋がりを知る”というのは、ある種の”生きていく力”にさえなるように思えるのだった。

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4 Responses to AUS始まりの歴史に触れる―ある人物との出会い―

  1. あゆみ。 のコメント:

    お久しぶりです♪
    Joakとの出会いと歴史を知る話ができたこと、すばらしい出会い・体験ですね!これこそ旅の財産ですよね。
    私もタスマニアでは色々な国から来た方と出会い(例のFranklin Tavernやりんご農園で)、色々な話を聞くことができ、とてもいい経験になりました。タスマニアは移民の多い土地という印象が強いですが、世の中には自分の知らない世界があるということを強く実感したのを覚えています。日本に帰ってからは、いつもの日常に戻ってしましましたが、自分の経験を大切にして、自分の国の事、世の中の事をもっと真剣に考えていかなきゃなって思いながら過ごしてます。
    これからもまだまだ素敵な出会いや体験が待っていそうですね♪♪
    みのるさんのこの先の旅の記憶をこれからも楽しみにしています★★

    • chirujirou のコメント:

      >あゆみ。さん
      お久しぶりです。
      こうやって現地の人と少しでも話すと、通過点に過ぎなかったなんでもない街も思い出のある場所に変わるから不思議ですね。こういう出会いの積み重ねが旅なのだと思います。
      ところであゆみさん、シンゴ’sバックパッカーであいこさんという方に会いましたよ。
      お互いあゆみさんを知っていたのでタスマニアの話をしました。旅人の世界は広いようで狭いですね笑

  2. 慶彦 のコメント:

    昨日につづき、オーストラリア関連の記載を中心に読ませてもらっています。貴重な体験をされているのですね。自分で出かけたような疑似体験をさせてもらっています。
    私は1987年にPethから帰国の飛行機で隣席になった縁で、Perth近郊Comoに住むNormさんという1927年生まれの方と知り合いになり、以来何度かPerthを訪問しました。
    Normさんは第二次大戦中、日本と戦うべく陸軍に入隊されましたが、出征直前に戦争が終結したので「日本人を殺さなくてすんだ」と話されていました。そして「戦争は歴史の1ページ。過去の話。」とも。しかし、20年以上前の当時ですが、知り合いの中には「今も日本人を憎んでいる人」もいたそうです。
    そのNormさんが昨年7月に亡くなられました。彼自身も歴史の1ページになってしまった思いです。
    このつながりが、(強引ですが)Perth+Run=City to Surfになりました。

    • ちるじろう のコメント:

      素敵な出会いがあったんですね。
      飛行機の隣の席という小さな縁が何十年も続くなんて・・出会いはほんとに不思議なものですね。
      亡くなられたのは非常に残念ですが・・マラソン完走を墓前に報告すればきっとnormさんも喜ばれるでしょうね^^

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