成田を発って4か月

ふと思い立ち夜の10時にバッパーを出て、
カエルの鳴き声をBGMに、ユーカリの森に沿って少し歩いた。
スリッパで出たのを少し後悔する寒さ。
冷ますまいと大事に抱えた熱い紅茶の入ったコップを、時折立ち止まっては口に運んだ。

タスマニア南部の田舎町、Doverの夜の静寂さは
否応なしにそこにいる者の思考を内側に向けてしまう。
それがいいのか悪いのかわからないけれど・・。
個人的に、ここオーストラリアに来てほぼ4か月。
そろそろ一区切りがほしいときに、この”思考の村”にたどり着いたのは一つの縁のような気もしている。

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仕事をするべく、自転車にまたがる日々から離れて1か月以上がたった。
不思議なもので、自転車移動の日々の中ではあれほど
「自転車ばかり乗ってていいのか」
と思い悩んでいたくせに、定住生活を始めた途端に
「自転車に日々またがる生活に早く戻りたい」
なんて考えたりする。

ほんとうに、色んな意味で、無いものねだりの人生をやってんなぁ、
と思わずにはいられない。

ただ、そんなないものねだりも、
言い換えれば、「これでいいのだろうか」という自問自答を
繰り返すことに他ならない。決して悪いわけじゃない。

少し話が変わるけれど、
自分の選ぶあらゆる選択肢が、小さくも積み重なって自分の人生をつくってゆく――
「旅」というもんをしていると、この想いは格段に強く、よりリアルに感じる。
たとえば毎朝、食事をすませてテントを撤収して、自転車にまたがる時刻。
てきぱきと片づけて「よしがんばろう!」と8時代に出るか
ぐだっと撤収して「しょうがない、行くかぁ」と10時代に出るか・・
この2時間の差が、その先に出会うであろう人を変え、手に入れる情報を変え、
その先の自分の行動を少しずつずらしていく。
旅の色を少しずつ塗りかえていく。
「旅」というのは、自由なようで、おそろしく厳しい面を持っているのである。

この自転車旅の行方がどう転ぶのか 
それは、ひとえに
自分をどれだけ律することができるか
ということに尽きる、と心底思っている。

これができなければ、「8時か10時の選択」でいうのなら
10時の先にある人生を選び取ってしまうということだ。
10時の先も面白いかもしれない。
でも、10時の先の人生で何かにつまづいたとき、
「やっぱりあの時もうちょっと頑張っていればよかった・・」
なんて後悔するのは死ぬよりも怖い。
8時を選び続けることができるか。
旅のなかで、どれだけ自分を律することができるか。
これがこの旅のすべて、と言っても過言じゃない。

この4か月間は、すべてにおいて自問自答する日々だった。
英語にしても、写真にしても、自転車旅の先の予定についても――――
「このままでいいのか」、「この方法で最善だろうか」
残念ながら、上記の3点とも確かな答えはなく、自問自答が続いている。
自分を律したその先に、いずれ答えらしきものが出てくるのだろうか?

*****

4か月が経って――
正直、旅中に自分がやりたいと思っていたこと(特に英語の習得と写真の向上)は、
見事に全部”ちゅうぶらりん”のままだ。
今は我慢のとき、なのかもしれない。少しずつ歩んでいこう。
半年後、1年後はいったいどうなっているだろう。

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